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2011年12月31日 (土)

「アタシの…」もっとも複雑なキャラ

「アタシのことがキライでも」…から
「アタシのことが…」女神という巫女


アタシのことがキライでも
AKBのことはキライにならないでください

 あつこの言葉でとっさに思い出したのが新選組司馬遼太郎だった。TVでは和田アキ子があつこの言葉に対してわからんと連発していた。「なんで、こんなんいう? わからんて、全然わからん!」と困惑顔だ。司馬も和田も同じ大阪人で、このちがいは何だろうとちょっと不思議だったが、一般的にはそうなのかもしれない。新選組(の出身地域)から日本でいちばん複雑なキャラを読み取った司馬とアイドルのコメントも理解できない和田。後者が多数派なら日本はあまりしあわせではないし、歴史的事実として前者の読みはシカトされるものだからだ。

 新選組は自らが所属する共同体の政治体制である幕府のために殉じた組織だ。しかも幕府は新選組に報いない。この農民出身の武装勢力を江戸を救うための生贄のように扱ったともいえる。
 新選組は幕府のために戦っているのに江戸に入ることを禁じられている。そのために江戸の外延である武蔵野を転々としながら戦い、死んでも幕府の墓はおろか江戸に墓を作ることも許されていない…。

 新選組は自らと同じ農民出身の薩長官軍と戦いながら何を考えていたのだろう。
 この思いと行動と沈黙の行為の全体像に司馬は日本でいちばん複雑なキャラの発現を見出している。

 甲府城は江戸防衛の要だ。この甲府城をめぐる戦いで新選組とそれを支える地域のエートスキャラが象徴的に表出する。

 甲府城へ向かう新選組は途中いろいろなところで歓待され、飲めや歌えやするうちに甲府城には官軍が到着してしまう。新選組の拠点である多摩や武蔵野から甲府城までは1、2日でたどり着く距離にあるが、連日の各地の歓待で数週間もかかってしまったようだ。 これは何を意味しているのか?
 新選組と歓待する農民は阿吽の呼吸で進軍を自ら遅らせたのだと考えられる。自分たちと同じ農民平民出身の官軍に勝たせたかったのではないか…。たぶん語られない真実としてこれが正解なのだろう。

 幕府に殉じながら報われることはなく、官軍を勝たせながら許されることがなかった新選組はある意味で沈黙の存在。勝利した薩長の明治政府下、新選組に関して詳述はし難いなかで、やがてその周辺からは主権在民の憲法が主張されることになる。この自由民権運動が新選組とゆかりのあるものであることはあまり語られない。
 明治をひっくり返して「おさまるめい(「治」「明」)」と揶揄した江戸の人たち。薩長と公家が発案した新しい江戸の名前「とうけい」。この漢学をひけらかした気取った名前も江戸の猛反発を受け、明治17年とうとう東京駅の駅名プレートに「とうきょう」(「東京」)が正式に掲げられ、「とうけい」は消えた。

 新選組はキラわれても江戸を救ったし、江戸幕府方も新選組を生贄にしながら江戸を守った。

 幕府の有能な官僚を処刑したために能吏がいない明治政府は森鴎外に執拗に仕官の依頼を繰り返すような状態だった。軍部でも薩長閥は太平洋戦争最後の陸軍大臣阿南まで続いたという指摘もあるほどだ。統制派皇道派などの派閥の原点に薩長閥問題があったのは事実で、政府の統制以前に軍部内のコンフリクトは軍部そのものの力を増大させてしまっともいえる。226事件のように地方と都市の対立、農本主義と産業ファシズムの対立といった緊張も全体として日本を強大な統制国家へ向かわせる契機になってしまっている。昭和13年には国家総動員法(ファシズム法)が制定される。

 明治維新で東京への行幸という建前だった天皇は昭和天皇の崩御をもって終わり、平成天皇即位で東京は正式に都になった。

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東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

著:東 浩紀 , 他
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価格:¥1,218

   

           
思想地図β vol.1

編集:東 浩紀
参考価格:¥2,415
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 地方と都市それを象徴する東京という問題がある。逆にいえば東京という問題を解析すれば、すべてが把握できる可能性があるとも考えられる。『東京から考える』にはそういったスタンスと可能性があった。
 北田暁大単著での続編を断念したのも象徴的。東京の問題を考えられる人が少ないという証拠だからだ。オタクの問題というのは東京の問題”と早くから見切っていた東浩紀がここでも鋭い。

 あつこのコトバは、日本でもっとも複雑なキャラと司馬が評した江戸=東京周辺のエートスからはデフォルトに近いもの。それがわからないで何がわかるのだろう?

 逆にそういったアプローチからでも東京(的)なるものを探求できるはずで、北田の断念は惜しいものだと感じられる。東浩紀がいう一般意志2.0は語られないものであり、意識した語りではないものであり、相反する個人の意志を相殺したあとで残るもの…だというのならば、コンフリクトしつつ圧倒的なプレゼンスを示す東京のエートスというものを対象として想像したくなるのは禁じ得ない。一般意志2.0そのものに極めて近似したものとしての東京。あるいは一般意志2.0に近似するがゆえに解りにくい東京がココにある。

 ソ連時代からモスクワ市民権が特別であったように中国も上海や北京の市民権は特別でもある。ところで東京は特別か? どこが特別か? そして大阪は特別を目指すのか?

 意味不明に人を魅了する、幻惑する、誘惑すること以外に東京が特別なところはないだろう。しかも東京への誘惑はその人間の欲望の鏡であってそれ以外ではない。東京は特別だがその原因?は東京にはない!? 東京をめぐる思索は、たぶん無限だ。

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東京にはレイヤーのようにオーバーラップされ同一視されている問題がいくつかある。

 1.東京が都市であること。
 2.東京が国家であること。
 3.東京が地方であること。

まず大前提としてこの3つの峻別が必要だ。逆にいえばこの3つの混同に東京(への)幻想の根拠もあるのだろう。東京学(参考に『東京学』)というものは東京の存在に反比例して小さく、また7割以上が地方出身者ともいわれる東京の構成員の複雑さそのものが幻想の東京をますます肥大化させている。そしてすべてがデフレトレンドなのが東京(都市)の特徴かもしれないが…。無方向無意味無制限な多弁が他者にとって意味を成さないように、あらゆる意味を成さない沈黙から感受し考察する以外には東京へのアプローチは困難だ。だが個人にとって沈黙は幹だと吉本隆明が指摘する(『日本語のゆくえ』東工大講義「芸術言語論」から)ように、個人の沈黙や意味不明を考えるところに唯一の可能性があるハズではないのか。

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