「アタシのことがキライでも」…から
アタシのことがキライでも
AKBのことはキライにならないでください
6年前に観客7人の劇場でスタートした彼女らはいまやミリオンを連発する。
その神7とも呼ばれるメインメンバーのセンター、絶対エースの前田敦子の言葉に客席の秋元康も涙ぐんでいる。
117万票を集めた選抜総選挙は政治的な議員選挙よりも大きい。
SCやコンビニ1社の売上が弱小国家のGDPをはるかに超えるように、ここでは信用もマネーもそしてさまざまな影響も想像以上に巨大なのかもしれない。この得票を超えるような規模の政治的な選挙など数えるほどしかないだろう。
そこで絶対エースと呼ばれる彼女=あつこは1位に返り咲いた歓喜の中で、涙声から絞りだすように言った。そこにはどこにも勝ち誇るようなおもむきはなく、AKBという共同体のためにだけ渾身を込めて伝えようとする彼女の姿があった。
この夏まで…とメンバー自身が予想していた人気は、その夏までに大ブレイクしてしまった。
他のメンバーのファンに嫌われる覚悟と、AKBという共同体を至上のものとしているあつこの思いがそのままの言葉はシンプルだ。自分とAKBをトレードオフしようとするこの態度は共同体にとっての巫女のものと同じ。さかのぼれは生贄のニュアンスとも近似する。
自分がキラワレてもいいからAKBのことをキラワナイでというスタンスは、共同体をめぐる巫女のように、自らの(運)命がトレードオフされている。
ファンにとってアイドルは多少でも巫女的な趣きがあるが、所属するグループにとっても巫女的であることを彼女は自ら示している。それがセンターの意味であり絶対エースの価値なのだろう。
選抜総選挙での投票権はCD等に付いてくる。そのために投票目的での大人買い?が多数いるのでは?と一人一票の公正な選挙ではないという批判がTVキャスターなどからあった。あつこと1、2位を争った大島優子=ゆうこはいう。票はアタシたちへの愛です…そこには愛が強ければ何票入れてもいいはずという解釈もアリで、ファンの喜びとともにメジャーなメディアへの反駁への共感もあり会場をわかせた。子役時代から業界が長いゆうこならではの政治的とさえ思えるレスポンスの説得力は小さくはない。あつことは対照なゆうこという存在もAKBの幅のひろさを示している。実際には売れまくったCDの数と比べれば投票は少なく、大部分のCDは聴くために買われたことが数字上証明された。音楽としての正当な評価もAKBを支えていることになり、彼女らのメジャー化は本物であることが確かめられたといえる。
今年は結局年間トップ5を独占してしまった。
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「大声ダイヤモンド」が耳に残り、「Beginner」のセンター別バージョンのプロモに興味を持ち、「RIVER」を思い出し、「桜の木になろう」に惹かれた頃にはメンバーの名前を憶えてしまっていた。しばらく前までたかみなとゆうこの区別がつかなかったのが信じられないくらいだが、見納めにふさわしいと思ったのは「ヘビーローテーション」のTVプレミアヴァージョン。センターゆきりん、SKEフロントと走り隊7というフォーメーションだった。来年のフロントメンバー推し企画だろうけど。
巫女はこのばあい
現実には<家>から疎外されたあらゆる存在の象徴として、
共同幻想の普遍性へと雲散していったのである。(『共同幻想論』)
雲散していく先を探していくハイ・イメージ論は早すぎた批評だったのか?
いまこそオンタイムのハイ・イメージ論にリスペクトしつつ、AKBを観たり聴いたりしていて気になったのが選抜総選挙のあつこのコトバだ。
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一般意志が正確で強固なのを論理的に数学的に証明したとしてスコット・ペイジの「多様性予測定理」と「群衆は平均を超える法則」が『一般意志2.0』で紹介されている。
AKB48はメンバーの幅とそれをフォローするファンの幅が広く、この2つの法則があてはまるサンプルとしてもピッタリ。昔?プロのヒット予測が当らなくなり(的中率50%以下)CDの売上がダウンする中でTKは登場して大ヒットを連発した。この時のプロの論者によるTKへの批判や非難は単に自己防衛か嫉妬やヤッカミだが、そもそもプロの予期が当たらないのは原発事故でも確認されてしまった。
ネットではジャスミン革命から直近の話題まで特殊意志があふれている。そこから一般意志を抽出することは困難ではなく、その可能性にかけた『一般意志2.0』の示すものは大きいし、明るい。選抜総選挙ほどの票も集まらない政治選挙の意義はホントウにないのかもしれないし、巫女が発現させたものがリアルな政治を超えるのはありうることなのだ。
共同幻想では推しメンとファンの関係を語れる、一般意志はそれが政治や国家のあり方に波及するトレンドが語れる。スコット・ペイジのいるサンタフェ研究所といえば複雑系の拠点としても懐かしい?かもしれないが、投資の予期などで現役だ。しかしバブル経済とその崩壊は予期できないことをも証明してしまった。金融工学のノーベル賞の翌年には受賞者のヘッジファンドLTCMがロシアのデフォルトで破綻している…。現実のコンフリクトは常に最大値だが、思索は常にそれを超えようとする。衆愚(大衆)そのものに解を求めたスタンスは共同幻想も一般意志もまったく同じようだ。
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