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2011年7月15日 (金)

『共同幻想論』・対幻想論から考える

 「対幻想論」共同幻想と自己幻想そのものをも産出する<対幻想>についての論考です。家族の発生が説明され、個人の顕在化が示唆され、歴史の発生の初源ともいうべきものまでもが説明されています。

 家族とは対幻想だというとき、それが男女という性関係の対幻想とどう違うのか?という問題は初歩的ですが多くの吉本読者が混乱してもいるようです。ここでは多義的な対幻想が一つの系であることが説明されています。

 一般的に実りや収穫を女性の出産や子育てと同一視させて考えることへのラジカルな批判はモルガン-エンゲルス的な認識も『古事記』への民俗学的な考察も超えています。その延長には一神教や多神教、アニミズムなどの違いへの認識が他の言説とはまったく異なる吉本理論ならではのオリジナルな観点があります。

 農耕における種まき、育ち、実り、収穫し、枯れるといった四季をスケールとするような<時間>と、人間における妊娠、出産、子育てという月を目安とするような<時間>の違いに古代人が気がつくところから<時間>そのものへの認識が深まっていくことへの考察は、吉本理論がいかに原理的であるかを示してもいるでしょう。ここには歴史を観るときの基本的なスタンスがあります。現象学的歴史学ともいうような、ある意味で現象学が根幹とする認識がここではファンクショナルに行使されています。

 ここでもフロイトとヘーゲルへの鋭い探究と、いかにそれらが吉本理論のベースとなったかが明らかです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『共同幻想論』(1968年に刊行)(改訂新版・1982年・角川文庫版)

 1    禁制論
 2    憑人論
 3    巫覡論
 4    巫女論
 5    他界論
 6    祭儀論
 7    母制論
 8    対幻想論
 9    罪責論
 10   規範論
 11   起源論

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【対幻想論】

P176
…<対なる幻想>はそれ自体の構造をもっており、
いちどその構造のうちにふみこんでゆけば、
集団の共同的な体制と独立しているといってよい。

共同体とそのなかの<家族>とが、まったくちがった水準に分離したとき、
はじめて対なる心(対幻想)のなかに個人の心(自己幻想)の問題が
おおきく登場するようになったのである。 
もちろんそれは近代以降の<家族>の問題である。

 対幻想は集団からは「独立している」という断定はわかりやすく、多くの読者が共有する対幻想への理解がここにあります。それはまた同時に共同幻想そのもの(への理解)を難しくしているものでもあるでしょう。親(子)に対する対幻想(家族)と男女間の対幻想(性)は異なりますが、それは時間への関係性の違いです。

 {相互に全面肯定である(はず)}という対幻想の臨界は心的現象論としては母子一体(自他不可分)の認識からはじまりますが、共同幻想論では関係の初源としてはじまります。
 対幻想と共同幻想との緊張をともなう差異(齟齬・軋轢)から自己幻想が析出するという示唆は、歴史(観)と現存在(個人)の関係を探り、(人)類と個(人)を考え抜いたからこその結論ではないでしょうか。またフーコー世界視線からみたようなイメージもあります。

P175
<対なる幻想>を<共同なる幻想>に同致できるような人物を、
血縁から疎外したとき<家族>は発生した。

 家族の発生とともに、これまでの章で詳述されてきた<巫女>の誕生でもあり、重層的に非決定されていく現実が生成するシーンが解析されているともいえます。フーコーではなくとも非西欧非マルクス系のカール・メンガーのような思想家もインスパイアされそうな一言です。「血縁から疎外」する以外は確定的なことはなく、<家族>も含めて現実(の生成は)は重層的非決定ともいうべき状態の集積なのかもしれません。マルクスの不均衡累積過程や本源的蓄積という概念にはそういったニュアンスがあるのではないでしょうか。

P183
…自然的な<性>関係にもとづきながら、
けっして「自己還帰」しえないで、
「一方の意識が他方の意識のうちに、自分を認める」幻想関係である…

 「「一方の意識が他方の意識のうちに、自分を認める」幻想関係」というのは対幻想ですが、これを媒介とする構造そのものは共同幻想と同じです。共同幻想はこの構造を媒介にしてしか成立しない幻想性だからです。対幻想では相手の意識に自分を認めますが、共同幻想では自分の代わりに何でも代入する ことができます。また代入するものを意志として選択できない(非決定!?)ことそのものが共同幻想の幻想性を際立たせているといえます。*ベーシックな『序説』 その5

P196
人間は<対>幻想に固有な時間性を自覚するようになって、
はじめて<世代>という概念を手に入れた。
<親>と<子>の相姦がタブー化されたのはそれからである。

 世代の概念に対する世界で唯一の定義かもしれません。
 空間性としては原初的な去勢(=タブー化)を示唆し、物語や神話がはじまるところを指し示したともいえる本章最後の言葉です。

2011年7月12日 (火)

ポリスの美学は文字の登場で弱体化したが…

 

 行為はその行為の発現者(行為者)とその行為の享受者や目撃者(第三者)の存在が前提であり必然。たとえば踊りも唄も見る者や聞く者の存在が前提です。ポリスでは集団密集戦法に象徴されるような勇猛が詠われ、踊られ、人々を熱狂させたのでしょう。身体性に依拠したミメーシスが喚起されるワケです。

 ところが文字は多くの場合は単独(者)であるその書き手を別とすれば、享受者=読者は自分独りだけで完結してしまうもの。読みたいものを読みたいように読む読者のエゴイスティックな世界で完結しうるものです。読者は書き手以外の他者を必要としないし、書き手は一回性の存在でしかない。(マルクスの剰余価値をヒントにしたアウラも、複製芸術以前に既に<他界>化していたという事実は軽くはない)。読者は必ずしも書き手の意向や意思にさえ影響されるわけでもない。書き手が死んでいても文字は残るので、リアルには書き手さえ読者には必要とさせないのが文字の大きな特徴であり、文字によって利己的に完結しうる読者の在り方が可能になったといえます。

 利他的な行為を至高の美学としたポリスの倫理観は文字の普及で崩壊します。隣の戦士を守るという行為とそこから生まれた倫理や美学は失われていきます。これがポリスの頽廃でありフーコーが注視し宮台真司がヒントを得た事態。もちろん文字の影響が大きくなるにつれ、その文字に書かれ、またそれに基づいて語られるものに対して厳しいエティックなり審美(眼)が行使され、その審判はコミュニケーションの形をとりながらダイアローグ=弁証法として発展していったワケです。

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 地球上の人間のうち文字を持つ民族はわずか5%。しかしその5%が世界を支配しているのは確かです。そして、自らの歴史を記述できない民族は滅びるとエンゲルスは述べていますが、記述したところで読まれるかどうかはまた別の問題なのかもしれません。ミクロには、はじめに書いたように読者は必ずしも書き手を必要とするものでもありません。 究極には小飼弾オタキングが指摘するように「コンテンツはタダ!」ともなりつつあり、書き手には相当な覚悟が必要でしょう。つまり“読まれなくても書く”意思がなければならなくなってきているかもしれないからです。そして読み手には読解力がさらに必要とされてきてるのではないでしょうか。

 三島由紀夫にとって「自分の自己実現のために<決起の呼びかけ>を利用したのであって、決起を呼びかけることが自己実現だったのではない」とすれば、それは一回性の表現であり作品だったといえるかもしれません。介錯を前提としない単独者としての独特の割腹も、反復不可能な表現をさらに際立たせる単独者のものとして、すべてをかけたものだったということでしょう。

 一般に自己表現のために書かれたものならば読まれなければ意義はありませんが、遠野物語・幽霊譚の炭入れの竹かごのように“彼岸を今ここに接続してしまう”ような仕掛けとしてなら、読まれなくても意義があるのかもしれません。それは文字に表現された何かではなく、書くことそのものに表出された何か、なのでしょう。三島の文学に意味があるとすれば、この延長でだと考えるのは無理なことではないはずです。本質に先立つ形態の…といった古典哲学的な意味そのもののように三島の作品は文体そのものの表出として意味があるのかもしれません。

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 スタイルとかファッションというもの、美学への考察は他に比べれば圧倒的な少数であり、なにより難解です。しかし、一本の直線からはじまった人類の表現行為は、そこに表出するものをはじめとして今現在でこそ探究すべきものが豊穣です。ハイイメージ論の射程に届く言説が皆無ななか、ニコファーレのオープンを当然だ!といえる東浩紀のようなスタンスは貴重なものでしょう。

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