『共同幻想論』・憑人論から考える
「憑人論」は『遠野物語』の語り手である佐々木鏡石と共鳴した柳田国男の心性を解きつつ展開されます。デジャブをはじめとした共同幻想の要件となる心性そのものが柳田の心性でもあり、その始原的な心性は太古から現代まで上部構造の基底として世界を成立せしめる観念の運動そのものであることが解かれていきます。
<共同幻想>をみるもの、語るもの、伝えるものの関係が解かれ、それがそのまま上部構造のメインとなる属性であることが示されます。幻想をみて語り伝えるものは個別的現存たる個人そのもの。その憑人としての人間を柳田にも自身にも読者(大衆)にも見出していくという文芸も理論も超えた探究譚ともいうべき一文です。マルクスの射程とフロイトの執拗と大衆の常識を凌駕する驚異的な何かがここにあります。ある意味『経済学・哲学草稿』が提起したものの解題がここにあるともいえるものです。
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『共同幻想論』(1968年に刊行)(改訂新版・1982年・角川文庫版)
1 禁制論
2 憑人論
3 巫覡論
4 巫女論
5 他界論
6 祭儀論
7 母制論
8 対幻想論
9 罪責論
10 規範論
11 起源論
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【憑人論】
P68
…挿話から共通の構造的な志向をとりだすとすれば、
柳田の入眠幻覚がいつも母体的なところ、
始原的心性に還るということである。
そこにみられる恐怖も
いわば母親から離れる恐怖と寂しさというものに媒介されている。
『遠野物語』の解析にあたって柳田の心性そのものにフォーカスして、そこから共同幻想(論)へと自在な演繹と帰納が繰返されていきます。このスタイルは未完で終わる『心的現象論本論』まで透徹しており、心的現象上のさまざまな症状を呈している患者から親族の構造を大著に記すレヴィ・ストロースや繰り返し引用されるヘーゲルなど、あらゆる論者=表現者が同じスタンスで取り扱われていきます。
<入眠幻覚>と<始原的心性>といった概念を駆使した論考は『心的現象論序説』のⅥ章「心的現象としての夢」や『異形の心的現象―統合失調症と文学の表現世界』などにもあり『共同幻想論』の理解に役立ちます。覚醒と睡眠の中間にある入眠幻想や夢幻様状態の心性こそがあらゆる心的現象の基点でもあり、その動態としての解明が吉本理論の根幹でもあるといえそうです。観念の運動の解剖です。
P69
わたしのかんがえでは、
<始原的なもの>へむかう志向と
<他なるもの>へむかう志向と
<自同的なるもの>へむかう志向とのあいだの
入眠幻覚の位相のうつりかわりは、
共同幻想が個体の幻想へと凝集し独立していく転移の契機を象徴している。
『共同幻想論』の3年後に刊行される『心的現象論序説』を先取りしかつ包括したようなこの数行に、幻想の3つの位相とその由来?が示されています。
対象化できない意識が{対象化した<対象化できない意識>}として対象化されていくのが共同幻想の生成ですが、その過程で3つの位相に分化?していく過程そのものが説明されています。
3つの志向によって共同幻想(公的関係・公的オーダー)、対幻想(親和的関係・親和的オーダー)、自己幻想(自己関係・自己オーダー)にそれぞれ分化していく個体認識の対象化できない意識の領域。
『心的現象論序説』ではフロイトからの援用でもある時間的な2つの志向、言語で表象できる空間的な2つの志向が説明されていますが、『共同幻想論』ではそれらとは違った以上のような3つの志向による分化が解説されていきます。
フロイトからの援用でもある時間的な2つの志向
……… 「主体を確立しようとするコト」と「エスへ戻ろうとするコト」
言語で表象できる空間的な2つの志向
……… <自己表出>と<指示表出>
ここで示されるのは幻想領域の立体的な描画を、その原点まで遡行しつつ3通りの理論を打ち立てたともいえるスケールと深さです。
『共同幻想論』におけるキータームは<共同幻想>と<対幻想>ですが、3年後に刊行される『心的現象論序説』に登場するのは<幻想的共同性>であり<幻想対>でした。他に<共同観念><共同社会>などです。この異なるタームをいい加減な造語ととるか、同一の対象に別の視点からアプローチするときの概念構成の差異ととるか、基本的なスタンスや思索や思考能力そのものの差が表象してくると思われます。
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