『共同幻想論』から考える
『共同幻想論』…共同幻想という言葉は戦後最大の思想家のものらしく、これほど使われたものもないと思われるようなロングセラー?のタームになっています。誰もが知っているし、そして誰もがちゃんとした説明が出来ない言葉なのかもしれません。本来その意味はシンプルですが、そういった認識そのものが禁忌とされることもあるところがその必要性と有用性を示しているともいえます。
国家は幻想の共同体だというかんがえを、
わたしははじめにマルクスから知った。
国家は共同の幻想である。
風俗や宗教や法もまた共同の幻想である。
(『共同幻想論』角川文庫版のための序)
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『共同幻想論』は全幻想領域(上部構造)論を包括しようとする初期3部作のなかでも、<共同幻想>という全幻想を統括する共同観念と共同性に関する探究としてそのメインをなす著作です。幻想の生成する機序を個体の自然過程に即して扱った『心的現象論序説』と、幻想の疎外態であり幻想の共同性を構成する重要ファクターである言語を取り扱った『言語にとって美とはなにか』とともに心理や哲学からシステム理論、倫理の極点をも睥睨する理論として、現代でこそ探究が待たれる一冊だと思われます。
『共同幻想論』はM・フーコーのオーダーがありその後に仏語訳されたこともあり、ヘーゲルの意志論をマテリアルな自然過程をベースに再把握したマルクスのさらなる探究の成果として、欧米に比類のない世界レベルの理論であることのプレゼンスの端緒としても垣間見ることができます。
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『共同幻想論』の序に「共同幻想のうち男性または女性としての人間がうみだす幻想をここでは対幻想とよぶことにした」とあり、『心的現象論序説』とは異なるアプローチが明示されているので、あらためて『共同幻想論』を考えてみました。
『心的現象論序説』をベースに心的現象を軸にまったりと読んできましたが、現在というディラックの海と化した世界を『ハイ・イメージ論(マス・イメージ論)』が解析していくのを検証しつつ、『共同幻想論』という原点から見直してみるのも面白いのではないかと思います。
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心的現象論で心的現象が身体に依拠しながらも還元できないことを前提にするように、共同幻想論では共同幻想が個人の心的現象に依拠するが還元はできないということがポイントです…。
この上部構造が下部構造に依拠しながらも還元できないということを、吉本さんは「観念の弁証法」をヘーゲルから抽出し展開することでクリアするという経路を見出しました。未完の大著である『心的現象本論』などで戦後最大の思想家が世界最強の思想家である可能性を知ることができます。
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わが初期国家の専制的首長たちは、
大規模な灌漑工事や、運河の開削工事をやる代わりに、
共同観念に属するすべてのものに、
大規模で複合された<観念の運河>を
掘りすすめざるをえなかった。
…
そこには、
現実の<アジア>的特性は存在しないかのようにみえるが、
共同幻想の<アジア>的特性は存在したのだ、…
『共同幻想論』角川文庫版に掲載された「全著作集のための序」では以上のように述べられ、マルクスが言及しいまや世界経済の中心ともなりつつあるアジア的共同体とその本質が日本ではどう構造化し発現しているのか…吉本理論の鋭い歴史分析を知ることができます。(歴史的にはこの前段階がアフリカ的段階です。)
共同幻想論 (角川文庫ソフィア)
著:吉本 隆明
参考価格:¥620 価格:¥620 |
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