<対象a>は剰余価値から―『生き延びるためのラカン』
心的現象のトリガーが〝去勢〟(抑圧=疎外)であることは用語やそれが示す党派?に関係なく真理です。原生的疎外からはじまって純粋疎外(の<ベクトル変容>)が遠隔化し、再帰性がそれを冪上化しながら増幅する過程は吉本理論でもラカンでもその主張のベースになっています。
この去勢が生んだ欧米文化の豊饒さを評価するとともに『ハイ・エディプス論 個体幻想のゆくえ』などでラカンの鏡像段階とパラノイア理論についてのラジカルな考察がされています。ラカンの有名な三界(想像界・象徴界・現実界)(論)が対幻想の領域に入ることを認めながら、用語をコンバートした論理の展開を考えるのも面白いでしょう。ラカン(orフロイト)のサイドから吉本理論との共通項を探る楽しさというものも含めて読める本です。ラカン派の中では異端だと自称されていますが、ジジェクなどマルキストへの読解も深い著者のものとして、また大変に読みやすい一冊として貴重です。
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ラカンに転移してしまった著者が「日本一わかりやすいラカン入門」を目指して6年の月日をかけ、中学生にも読めるように書いたのが本書。
サブカル論議や精神分析、心理学フェチなら当然知っているレベルの用語だけで見事にラカンが解説されている。難解な専門用語が排除されているわけで、そこに<父の排除>を察する読者からは反発もあるけど、それこそこの本が成功してる証だとすればOK。
吉本に転移している自分からすると、本書はフロイトへの深い理解のためかより一層吉本理論との近似が気になる。吉本や著者への自分の転移は当然として、他者からはどう読めるのだろうか?という新たな知への欲望がさらに喚起され、もちろん必読の一冊として触れ回りたくなる欲望はこの書評を書く衝動を喚起し。。。。
タレントでも著者でも、その人を気に入ったらその人の作品を複数手に入れるのは当たり前。好きな役者の出演するTVや映画はいくつも見るし、著者なら何冊も読むでしょ。好きなミュージシャンのCDやアナログレコードだってたくさん持ってたりするもの。
そんな訳で、斎藤環や吉本隆明の本はたくさん持っている。そのなかでも専門用語を並べた専門書より解りやすく深くて、読んでいて面白い、この『生き延びるためのラカン』はランキングが高い。
漢字は<表象・表音・表意>の三位一体になっていて複雑。記号論で対象になる言語の文字としての<表象・意味>や言葉としての<表音・意味>とは複雑さのレベルが違う。漢字という書文字はそれだけで絵と記号の両方の機能をもっている。そのために〝シニフィアン〟〝シニフィエ〟みたいな意味ありげな用語をいくつ並べても漢字が人間にどう享受されるかは説明できない。同じようなことをラカンの限界として指摘したのが斎藤環の『文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ』で本書でも同書を参照するよう勧められている。
入門書にしてはラカンの重要概念の由来まで説明されているのもGOOD。<対象a>がマルクスの<剰余価値>をヒントにしているなど、マルクスやヘーゲルからラカンがどのような影響を受けているかという説明は参考になるでしょ。それだけでも西洋思想という文脈の中でのラカンの確かな位置づけが可能。ヘーゲルやマルクスを除外しては現代思想の文脈が成り立たない事実を再認識しないと、日本の論者のこれ以上のフラット化、動物化が避けられないもんね。
『ヨシモトで読むラカン』という本が一冊書けそうなほど、いろいろなヒントやネタが散りばめられた一冊だ。
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(追記予定です)
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生き延びるためのラカン (木星叢書)
著:斎藤 環
参考価格:¥1,575 価格:¥1,575 |
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