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2009年3月28日 (土)

エピソードな原点『幼年論 21世紀の対幻想について』

 芹沢俊介がインタビューする形になっていますが『ハイ・エディプス論』と同様でしっかりした理論的な内容になっています。しかも他の本では触れられていない<幼年>にフォーカスしたもので、人間が発達していく階程においていちばん大切なパートでもある<幼年期>への貴重な考察です。必然的に<対幻想>が人間の発達の階程でどのように変遷するか、そのバリエーションが語られ、共同幻想との関係や時代ごとの家族のカタチが明らかにされます。

 理論的な問題を導くためのサンプルは吉本隆明自身の幼年時からの体験や小説、柳田国夫や「古事記」「日本書記」です。「軒遊び」への考察から「ひきこもり」を、「甘え」からは暴力が導きだされます。ベイトソンやDG(ドゥルーズ=ガタリ)などと照応されるところもあり吉本読者ではなくてもポイントは理解しやすいでしょう。

 <親-子>という状況からも倫理からも子供のことは「100パーセント親のせい」という結論は当然のことですが、親自身がまずそれを回避する現在、それだけでもますます貴重な一冊だといえます。医学的に障害や病の原因が遺伝子や器質に由来すると明らかになるにつれ〝親のせいではない〟という現代的な倫理?が喧伝されるほど<情況>を顕わにしているものはないでしょう。

 成長するに従って<対幻想>が遠隔化していく、つまり観念のパースペクティブの拡張がありますが、それは物理的な距離としても(指示)表出します。ポイントは<認識上の空間性>と<物理的な空間>との差異とその組み合わせ=カップリング。遠隔化された観念と現実の行動はタイミングがズレますが、成長の階程では一つのカップリングされた状態として把握できます。歴史の階程におけるマルクスの<上部構造-下部構造>というカップリングのように「家遊び」「軒遊び」「外遊び」というカップリングが<親-子>の関係を、つまり<対幻想>の表出として考察できます。

 

 「家遊び」は親の保護下での遊び。
 親が認めたものを、親のコントロール下で遊びます。

 「軒遊び」は親の視界内での遊び。
 親の眺めのなか、親の手の届く範囲内で遊びます。

 「外遊び」は親の視線も手も届かないところでの遊び。
 親がいないところで、親の知らない遊びを(も)します。

 

 『共同幻想論』をはじめ柳田国夫を参照する機会は多く、豊富なフィールドワークから価値ある考察がなされています。「軒遊び」もその一つでしょう。
 この子どもの自由な時間である<遊び>をめぐる<親-子>の関係を構造として考えると、そこに<対幻想>の具現化した状態が把握できます。やがて<兄-弟>という関係や<姉><妹>あるいは<叔父><叔母>との関係へ遠隔化していく過程と延長に<共同幻想>として<国家>や<宗教>の成立までも解き明かした吉本理論の原点があります。

           
幼年論―21世紀の対幻想について

著:吉本 隆明 , 他
参考価格:¥1,680
価格:¥1,680

   

2009年3月17日 (火)

概観とオリジンな『心とは何か 心的現象論入門』

自信のあらわれとしての『詩人・評論家・作家のための言語論』

 講演をまとめたものであり『心的現象論序説』『心的現象論本論』 の中間に位置するような内容になっています。収録されている8回の講演で心的現象(論)を中心とした吉本理論の全体像がほぼ網羅され把握することができ、ページ構成も人間の発達史に沿った展開でそれぞれ豊富な具体例を示しながら進められています。

 Ⅰ章では発達史の中で〝一人では生きていけない乳児期〟と〝二次性徴を抑圧する前思春期〟から人間だけに特有な過程をフォーカスするところからはじまります。この時の人間に特有の過程がその後の心的現象のすべてを左右するものだからです。そこから言語以前の表出からいわゆる〝言葉〟までが考察され、それが対応する環界との関係も示唆されます。ここまでで初期三部作の内容が凝縮され、さらにはここですでにアフリカ的段階ハイイメージ論のコアな部分が明らかにされてきているともいえます。

 またⅠ章の「異常の分散 母の物語」などは他では示されていないような心的現象を個体として包含する<物語>がどのように形成されるかが心的現象(論)に基づいて解説されています。死という最大のストレスと向き合ったときの人間のレスポンスをキューブラー・ロスの膨大な臨床データから抽出し、人間の心的現象の祖型的なものをクローズアップします。それが感情を媒介係数としてどのような認識を生じさせるのかを発達心理学的な過程における錯合から明らかにし、<概念>や<規範>との統御のバランスの結果として<病的>や<異常>が生じる機序を明かしていきます。

 心的現象からみた吉本理論の全体像が概観でき、しかも重要な面でオリジンなところがある一冊といえます。

           
心とは何か―心的現象論入門

著:吉本 隆明
参考価格:¥ 1,733
価格:¥ 1,733

   

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吉本さんをはじめとして多方面に博学強覧なfinalvent氏の極東ブログ。その「[書評]心とは何か(吉本隆明)」にとても参考になるコメントがあります。三木解剖学を踏まえたうえで自他関係の根底にある免疫システムについて取り入れた考察です。

 結局、心とはなにか? 私のがさつな言葉でパラフレーズするのだが、心というものは、脳神経システムと肺という呼吸器システムの相克で生じるものだと理解したい。そして、この相克こそが、私が彼らの思想から私が受け取った部分なのだが、人の心に決定的なダイナミズムを与えている。
 彼らの思想にはないのだが、これに免疫のシステムが関与したとき、人の身心の病的な領域が、人の進化の必然とその途上性の可能性を示すものとして、現れるのだろうと思う。

                       極東ブログの「[書評]心とは何か(吉本隆明)」から

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(2010.10.16追加)

2009年3月 9日 (月)

『ハイ・エディプス論 個体幻想のゆくえ』

『母型論』は系統発生OK

 生まれてから死ぬまでの個体の歴史にそった質疑応答で構成されているのがこの『ハイ・エディプス論―個体幻想のゆくえ』 。ある種シリアスな質問に対してよりハードな応答になっていて、ハードコアな吉本思想が言明されている。

 

   党派として考えられている
    「ほんとうのこと」は全部だめだ…

                                (P55)

   …母親が「ほんとうのこと」をいうはずがない。
   それが「ほんとうのこと」ですよ。

                                (P47)

 

 いわゆる共同幻想への全否定や、共同幻想の母型になる<母親(との関係)>についてのある種ペシミスティック?な見解でもある。吉本理論の振幅においてもっとも極端な位置でもあるが、それは 共同(幻想)性が個体(幻想)にとって真理であるハズがなく、その絶対に超えられない位相を表現する方法あるいはその指示表出そのものとしての〝こういう表現〟だったと思われる。

 ラカンの鏡像段階とパラノイア理論についてのラジカルな考察と批評、バロウズ!までも取り上げたスノッブ?さも意外な面白さとなっている。質問者サイドの生真面目さにオーダー以上の応答を返す両者のやり取りがこの本の出来を左右しているともいえるだろう。

 ラカンの想像界・象徴界・現実界の三界(論)は乳児・胎児期であればその全部が対幻想の領域にはいるという指摘や、フーコーの権力(論)と視覚(像)との関係、〝ミル・プラトー〟が普遍的でありうる原始的とアジア的の境界についてなど興味がつきない豊富な内容となっている。柳田国男にヒントを得た吉本の思索で「軒遊び」や「外遊び」、「学校」と「遊び」の関係など常に新鮮でユニークでもある吉本理論の可能性があふれている。驚くのは自分の発想を現在どう考えているか?について自問自答する最後だ。ヴェイユや親鸞についての想いは吉本の自己表出であり、読者にとって本書が見事な指示表出であることの分別(の在り処)を探すのも楽しいハズだ。

 マルクスをはじめ自他の理論を縦横無尽にラジカルに語っているが、本書でのスタンスは徹底的に吉本個人の、つまり個体幻想からの語りになっている。吉本理論の全体像がいつもと違った視点から読めるのだ。

           
ハイ・エディプス論―個体幻想のゆくえ

著:吉本 隆明
参考価格:¥ 2,039
価格:¥ 2,039

   

2009年3月 7日 (土)

『カール・マルクス』市民社会を解き明かす方法

 〝市民社会・法・国家〟の関係を解き明かしていくマルクスから吉本理論が何を獲得したか、吉本理論によるマルクスへの評価といったものが明らかにされています。ヘーゲル/マルクスというオーソドックス?な関連から、その読解の仕方まで、吉本理論のラジカルでベーシックな原理とスタンスが明らかになります。単なるマルクスへの批評としてもシンプルで原理的ながらすべてを押さえている深さとパースペクティヴが圧倒的です。
 社会-国家あるいは宗教における<共同幻想>の展開 が明かされていて、ヘーゲルから継続する〝観念の弁証法〟の普遍性と方法論としての確実さが明らかにされます。心的現象論的なアプローチとともにある意味で吉本読解の前提として必読の書でしょう。

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 マルクス主義のガイドやマルクスの人物伝は少なくない。しかし書き手に思い入れがあるせいかヤケに熱かったり冷笑気味だったり左右両派?のポジションの滑稽さをそのまま表明したようなものが多く、ましてや理論的な真偽や価値となれば失望さえする。
 マルクス思想の研究では構造主義以降の見解でマルクスの初期と後期では認識論的切断があるという立場が目立つ。ニューアカから全共闘のノスタルジーが漂うものまでそれは共通するようだ。構造主義は弁証法を超えた、物象化論は疎外論を超えた、関係論は存在論を超えた、経済システム分析は素朴なヒューマニズムに優先する....。
 本書では『経済学・哲学草稿』 に代表される初期マルクスと後期の『資本論』 がまったく同じテーマを同じ方法で追究していることが解き明かされていく。これほど簡明でしかも根源的なマルクス論は他にないかもしれない。おそらく稀有な一冊だろう。
 それどころか共同幻想や純粋疎外などのタームに象徴される著者の思想や理論的なスタンスがまるでマルクスのように一貫したものであることもわかる。だがアインシュタインが10代で相対性理論を発見しながら、それが表現できるようになるまでに長い月日を必要とした(に過ぎない)ことを考えてみるとそれも不思議ではない。優れた哲学者はたった一つのテーマを持つという某有名哲学者の言葉はきっと真理なのだ。
 疎外がどのように再帰し、その展開がどのように共同化するのか。本書は簡単に巨大なマルクスの思想を根源から理解できる珍しいマルクス本だといえる。いまだに諸説乱れる国家論や経済学の根本、大衆論や宗教の起源までもが驚くほど簡明に解き明かされていく一冊は読者を限定することなく必読だろうと思わせるものがある。

           
カール・マルクス (光文社文庫)

著:吉本 隆明
参考価格:¥500
価格:¥500

   

(2006/06/14)
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