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2009年2月13日 (金)

ベーシックな『序説』 その1

 『心的現象論序説』のⅠ章Ⅱ章は考察の基本的な方法とスタイルで、Ⅲ章「心的世界の動態化」Ⅳ章「心的現象としての感情」は吉本理論の根幹をなす部分です。Ⅴ章「心的現象としての発語および失語」Ⅶ章「心像論」はそれぞれ『言語にとって美とはなにか』と『共同幻想論』の基礎づけになっています。

 『心的現象論序説』には「対幻想」も「共同幻想」もでてきません。代わりに<幻想対>や<幻想的共同性><共同観念><一般了解>という言葉がでてきます。また「自己表出」「指示表出」という言葉もでてきません。<自己表現としての言語><規範としての言語>など説明文が多く登場しています。
 『共同幻想』『言語美』は具体的な題材を解剖するかたちで理論が構築されていきますが、この『序説』では基礎概念のレベルで徹底的な考察と解説がされており〝言語〟も〝共同性〟もラジカルに理解できるように書かれています。『心的現象論本論』ではさらに多くの個別的な題材から微細な解剖をとおして原理が示されていきます。『序説』は理念的に完結しうるもとして完成度が高いものです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『心的現象論序説』(改訂新版・1982年・角川文庫版)

 Ⅰ 心的世界の叙述
 Ⅱ 心的世界をどうとらえるか

 Ⅲ 心的世界の動態化
 Ⅳ 心的現象としての感情
 Ⅴ 心的現象としての発語および失語
 Ⅵ 心的現象としての夢
 Ⅶ 心像論

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【Ⅰ心的世界の叙述】

P10)
わたしのかんがえでは
マルクスの知見のうちもっともすぐれており、
もっとも貴重なのはかれがその体系のうちに
観念の運動についての
弁証法を保存していることにある。

 

 心理学や哲学、現象学というジャンルを超えて心について考察することが宣言がされています。心は身体や環界に依拠しますが絶対にそこに還元はできません。この困難で複雑な状態を自明のものとして心的現象への探究がはじまります。

 〝わたしが<視る>とき、それは<構造>としてみており、対象はその個体に固有の<構造(時空間構造)>に変えられて受容される〟…という意味の説明(P13)があります。

 この{個体に固有の<構造>}というのは人間にはそれぞれ個体ごとにその人固有の認識構造(認識の仕方)があり、各人で少しづつ異なっていて、それが個人の特徴(個性)になっていることを示しています。
 この<個体ごとの特徴>や、<個体と個体の差異>あるいは<個体と公準(共同体の)の差異>にフォーカスして心的現象論は展開されています。この<差異>こそが<性格>をはじめとして<異常><病気>まで包含するものであり、吉本理論の言語論としてであれば<自己表出>に対応するものです。もし、たとえば個体相互にまったく差異がなく同じ(ような)属性であるとすれば、それはコンピュータや動物が並んでいるようなもので全面的な指示表出(だけ)の世界となります。

 

【Ⅱ心的世界をどうとらえるか】

P46)
もし量子生物学の発展が、生理的なメカニスムを
すべて微視的にとらえうるようになったとき、
心的現象は生理的現象によって了解可能となるか?
もちろんこれにたいする答えは<否>である。
ただし、不可知論的な否ではなく構造的に否である。

 

 その理由として〝生物体としての人間が、細胞の確率的な動きのメカニスムを把握しうるとき、心的な存在としての人間は、すでに<把握しうる>ことをも把握しうる冪乗(累乗)された心的領域を累加している〟という構造にあることを指摘。

 この〝構造的に否である〟は定理としては<自己言及のパラッドクス>や<ゲーデルの不完全性定理><チューリングの停止性問題>(の示すもの)と同じす。(こういった見解を示せる可能性がニューアカ以降にありましたが誰も何も示せませんでした。)

 これは個体という<入れ子>構造における<再帰(性)>が人間だけのものであることを示しています。あるいは<再帰(性)>を<入れ子>構造の前提と(して定義)したともいえます。

 〝観念の働き〟は〝人間の<身体>と現実的な環界〟〝この二つの関数〟(P49)であり、その〝心的な領域をささえる基軸〟として<身体>と<環界>の両方から疎外された<構造>であることが仮説として提出されます。イデオロギーへのアンチとして登場した身体論や身体図といったものや後の三木解剖学の前段といえる思索がここにあります。

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