ベーシックな『序説』 その2
『心的現象論序説』のⅢ章「心的世界の動態化」とⅣ章の「心的現象としての感情」では基礎となる概念構築、了解作用の遠隔化とその動因が考察されています。吉本理論の原理論であり現象学やフロイトへの厳密な考察から理論が生成していく瞬間でもあるでしょう。
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『心的現象論序説』(改訂新版・1982年・角川文庫版)
Ⅰ 心的世界の叙述
Ⅱ 心的世界をどうとらえるか
Ⅲ 心的世界の動態化
Ⅳ 心的現象としての感情
Ⅴ 心的現象としての発語および失語
Ⅵ 心的現象としての夢
Ⅶ 心像論
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【Ⅲ心的世界の動態化】
P93
心的な領域を原生的疎外の領域とみなす
わたしたちのかんがえからは、
ただ時間化度と空間化度のちがいとしてしか
<感性>とか<理性>とかいう語が意味するものは
区別されない。
心的現象の質的な差異、
たとえば精神医学でいう分裂病や躁うつ病やてんかん病は
ただ時間化度、空間化度の量的な差異と
その錯合構造にしか還元されない…
時空間概念という理系文系を超えた究極の概念を駆使した心的現象へのアプローチが宣言され、ヘーゲル小論理学のような明解でゆるぎない理論の基礎づけを目指した論考であることがわかります。〝個体の幻想性についての一般理論が確定されれば、個々の具体的な人間がしめす心的現象を了解し、予見しうるはずだ、という観点にたっている〟この『序説』の可能性はすさまじい破壊力をともなって展開されることになります。
<原生的疎外>とその<ベクトル変容>である<純粋疎外>というオリジナルで基本的な原理と概念が示されます。純粋疎外の時空間化度として<固有時間性><固有空間性>が設定され、現象学的還元が排除するものの背理として〝現実的環界の対象も、自然体としての<身体>もけっして排除しない〟時空間の〝錯合という異質化した構造〟である<純粋疎外>が提出されます。ここでは現象学の〝超越者〟への指向(嗜好?)は消滅しています。
感覚作用を〝それぞれに固有の空間化度〟と〝生理体としての<身体>の時間化度〟による受容とみなし、それが微分されます。そして<一次対応>という<了解>の基礎が設定され、そこからの離脱(の度合)が異常や病気(のスケール)となることが説明されます。これらはハイデガーやベルグソンの時間や空間への概念設定とも比較検討されていきますが、後半の具体的な症例への分析をとおして例証されていく過程は現在まで続くスタイルでもあり説得力があります。
【Ⅳ心的現象としての感情】
P131
たんに眼のまえの存在にたいしてだけではなく、
遠隔の対象についても<感情>をもつことができる
にもかかわらず<感情>の対象は、
遠隔性でありえないことは、
<感情>にとってもっとも本来的な性質である。
心理学でも哲学でも脳神経学でももっとも困難な<感情>(の定義)というものが、もっとも吉本理論らしく時空間概念によってクールに解析され提示されています。
心的現象の中で感情が特別なのは、感覚には〝対象そのものを指す志向性〟がありますが、感情は〝対象についての心的な状態を、本来の対象とする〟からです。つまり感情は再帰(性)や自己言及(性)の典型でありループしている心的現象そのものといえるもの。
しかも〝<感情>の作用は、対象自体がどういうものかとはかかわらない〟ということで、たとえば<好き・きらい>のような判断さえ両価性でしかなく、〝<感情>は〟〝心的な時間性の<空間>化〟という〝中性〟の〝強度に転化する〟ことが〝本質〟だとされます。
また〝了解作用〟が〝<時間性>が介在すべきであるにもかかわらず〟〝心的空間性の領域としてだけやってくる〟〝本来的な矛盾〟とも定義されています。(これらの感情についての思索は時間(性)以前の状態である<エス>を念頭においたものではないかと考えられます。)
後半で分裂病の少女ルネなど感情の障害をともなう症例への考察があり、〝<接触>の構造〟が問題とされます。ベースに〝臨界的である〟〝人間と人間との<接触>〟を置き、そこから遠隔化していく動因として(の)<感情>(の必然)が考察されます。
ここで<臨界的な接触>というのは後に有名になる<対幻想>の属性のこと。この数ページに<共同幻想>から<アフリカ的段階>までの機序と必然が、はじめて現れます。それは〝<異常>あるいは<病的>とみなされる精神の働き〟への考察から生まれたものだといえます。
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