<自己表出>と<指示表出>
<p><p><p><p><p><p><p><p><p><p><p><p><自己表出>と<指示表出></p></p></p></p></p></p></p></p></p></p></p></p>
言語を2つに大別したのが「自己表出」と「指示表出」です。
一般的に言語は人間が使うものなので、言語には主体(としての人間)があります。
その主体(としての人間)からみて「自己表出」と「指示表出」の2つの言語があるわけです。
語・言葉の品詞はいずれも「自己表出」と「指示表出」という2つの側面をもっていますが、どちらかだけに偏ることはありません。両方の側面をもちながら語・言葉ごとに一方の側面の強度が高くなっているわけです。
簡単に説明すると…
<名詞>は指示表出
<助詞>は自己表出
…になります。そして品詞の大部分はこの2つの中間のどこかに入ります。
ほとんどの品詞は<名詞>と<助詞>を両極とするグラデーションのどこかに位置します。そしてその語そのものにも<指示表出>と<自己表出>の両方の意味がグラデーションとしてあります。
名詞は<何か>を指し示しています。
助詞は<主体>を表し示しています。
たとえばコンピュータ言語は指示表出です。
コンピュータに<命令>を指し示す言語として指示表出であり、同じ意味で数学や記号といった形式論理はすべて指示表出です。
自己表出の典型は助詞です。特に主格の助詞と限定の助詞として日常的に使われています。「ワタシが」の<が>、「ワタシは」の<は>などです。
主体が自己のことを表現しているのが自己表出です。助詞は<何か>との関わりをとおして主体を表出(表現)しています。あるいは主体は<何か>との関わりをとおして自己を表現(表出)しているわけです。
ここにとてもラディカルな問題があります。
助詞は助詞だけでは意味がありません。
「は」とか「が」だけでコミュニケーションする(できる)人はいません。
つまり自己表出は<何か>との関わりなしには成立しないわけです。
これは人間という存在が常に何かとの関わりの中で営まれてきたことを意味しています。 助詞(の在り方)というものはそれが言語に現れたものといえます。
これを応用すると助詞の使い方でその主体がどのように何かに関わってきたかということが分析できます。助詞の使い方に人間性が表出するともいえるわけです。
数学や形式論理は指示表出だけの論理ですが、その「数論的な系でも<概念>は自然認知の程度にしたがう」という『心的現象論序説』の示唆はラジカルです。
(2009/01/08,2009/4/25)
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