In A Silent Way
観ましたか?
1月4日放送のETV特集「吉本隆明 語る~沈黙から芸術まで~」
吉本さんの著作がズラッ~と並べられた光景。
そこに聴こえてきたのが「In A Silent Way」です。
In a Silent Way
アーティスト:Miles Davis
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あの、圧倒的な存在を感じさせる漆黒の名曲。マイルスデイビスがロックした、存在感そのものみたいな曲です。う~ん、このセンスには参った! この番組、本気で作ってくれてますね。
ところで、「In A Silent Way」は70年代からのロックの時代に先んじてマイルスが放った強烈な一発。モードの自由さを手に入れモダンジャズというジャンルを確立したマイルスは、そこで止まっていなかったワケです。
「お望みなら、世界最高のロックバンドを組んでやろうか」といって作られた「Jack Johnson」の1年前。すでにマイルスの中には次の時代を圧倒するビジョンがあったんですね。
その2年後72年。「on the Corner」をリリース。このプリミティヴでタイトなリズム。しかもダンサンブル…。現在のR&BからDJまで、この成果と影響なしにはありえなかったといわせるアルバムでした。
やがてマイルスコンボからはチックコリア、ハービーハンコック、ジョーザビヌルをはじめ、あらゆるジャンルに影響をあたえるような面々が生まれてきました。DTウオーカーやWWワトソンなど今のファンクやダンスMを産出しているものからピートーコージーのようなハチャメチャな前衛まで、ノンジャンルでしかも時代をも超越したような散種。現代の音楽の大きな系統樹を生み出してきたわけです。
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マイルスコンボの面々それぞれが一つのジャンルのような大きな存在となる一方で、交通事故の後長く沈黙していたマイルスが復活しました。NHKなどでそのコンサートの模様は何度か紹介されています。
それを聴いていてハッと気がついたことがありました。マイルスはアフリカ系ブラックミュージックから東欧系の牧歌的なもの、やんちゃなエレキギターや日本の祭りやしょうの笛のようなものまで多種多彩なエッセンスをそれと顕さずに内在させ、そこからそれぞれのメンバーが輩出してきたのですが…。
復活後のマイルスがなぜこんなに新しいのか? 病気を持ち歳もとりつつあった彼のオンタイムなリアルさエネルギッシュさそしてPOPさ、それらへの強烈なストイックさ。痛む脚をこらえながら相変わらず圧倒的な存在感を示すステージ上のマイルス…。
復活した彼の音楽にはどこかで聴いたようなデジャブがありました。これは…。マイルスが多彩なメンバーをコンボに加えていたのは、それが彼のエッセンスにもなったからなのでしょう。もともとハービーハンコックを原点とするハードコアなファンクを聴いていた自分には復活したマイルスにデジャブがあったのです。マイルスは多くのメンバーに影響をあたえてきた…でも、もう一つ言えることは、マイルスは彼らからさまざまなものを吸収していたんだ、ということです。
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ハービーハンコックの「HEAD HUNTERS」や「FUTURE SHOCK」 にノリノリだった自分は、マイルスが見事に自らのエッセンスにしていった素晴らしいメンバーの味がマイルスの音楽ににじみでるのを感じることができました。メンバーはマイルスに影響され育てられましたが、マイルスがメンバーから獲得したものも大きかったのです。
吉本さんの本はよく読みましたが原理論で現代を分析批評した『ハイ・イメージ論』には感動しました。そこでは音楽や都市、ファッション、村上龍といった個別の具体的な商品に象徴される現代そのものがフォーカスされ、無限大に増殖する資本主義のアイテムがどれも鮮やかに解析され価値が評価され消費者としての自らが問われていきます。この、あらゆる雑多なだけれど魅惑的な対象を同じように取り扱っていく方法論は何だろう? 観点はどこにあるのか? 対象が何であれ揺るぎない観点からそれらはフォーカスされていますが…。
吉本さんの観点は<純粋概念>でした。『心的現象論序説』以来ずっと根底に流れる方法論が、最も複雑で変化に富み、リアルタイムで変遷し続ける現在を捉えていたのです。イメージ化された言語、言語のようなビジュアル、それらが生成する共同性…『イメージ論』のあとがきで宣言されたように、現在をリアルに把握するための『共同幻想論』と『言語にとって美とはなにか』が『ハイ・イメージ論』(『マス・イメージ論』を含む)としてリリースされました。
<純粋概念>…それは<ゼロの発見>に相当するものです。
現在をリアルに捕捉し続けるその方法論は、<純粋概念>をベースにしながらも現在そのものからマテリアルとテクノロジーを獲得しつつ生成され続けているのでした。それは筑波科学博で体験したヴャーチャルなデモやランドサット衛星から<世界視線>を考え、物理化学の<オルト・メタ・パラ>といった位置概念を文芸批評の確固たる視点の基礎として応用したり、常に現在と照応しながら方法(論)を構築してきた長い営為の成果でしょう。
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もっと吉本さんの用語に即していえば、無限に増殖し続ける資本主義のアイテム=指示表出そのものを内化して絶えず自らの自己表出のもとに方法論を磨いてきたということでしょう。
アップトウーデイトなメンバーからのエッセンスを吸収し続けたマイルスは最期まで<現在>でした。まったく風化しないどころか、いまだに先端をいくマイルスの凄味ともいえる存在感は、吉本さんに感じるものと同じです。
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