「音楽は郷愁だから」という原点
音楽....いろいろあるけど、郷愁だから。
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2時間のドキュメント番組「ユーミンの遥かなる音と魂の旅」でユーミンが何気で真理を語ってました。フィンランドの民俗音楽を聴いて「なんだかすごく懐かしい気がして」涙を流したり、鳥肌を立てたり。TKがはじめて華原の朋ちゃんの歌声を聴いた時に泣いたのも同じ理由なんでしょう、きっと。音楽を聴くとか何かの音を聴くという行為に共通するのは主体の受動性です。
聴覚は受動性の感覚。受胎した瞬間から胎児は母体の音を聴いています。聴覚が生成する以前どころか、受精卵の細胞の段階から母体である環界のさまざまな影響は受けているわけです。(人間の脳幹は意識しなくても実母の声だけに反応し、ツノダテストによればそのスピードは1/10000秒。これは細胞内外のイオン反応の応答スピードのレベルであり、神経伝達のスピードの数倍から10数倍の速さです。細胞の代謝レベルの反応です。)
一方、視覚は能動性(運動性)の感覚。映画やアニメを見るとか何かをコレクションするのは視覚による対象の享受ですが、対象へ働きかける(見る)という行為と、そもそも対象そのものへ近づいたり手に入れたりという行動や、そうしようとする観念がともないます。
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音楽がどうして哀愁をおび、受動性の感覚なのか?
幻聴は患者にとってどういう意味をもつのか?
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幻聴や幻覚はあっても幻触?や幻味?はほとんどありません。これはそれぞれの感覚と共同性(均質空間による認識≧思考の前提条件)との対応関係に大きな違いがあるからで、指示決定は共同性の最たるものであり、均質空間を媒介とした認識を仮構するものと考えられます。逆に、空間の均質性だけが共同性を仮構する認識を可能にすると考えられます。均質性を前提とした観念が概念(性)であり、思考と認識の前提です。視覚と聴覚を可能にしている可視光線と空気振動は感覚器の対象としてはいちばん空間的な均質性が高いものでしょう。
統合失調症が現存在分析の大きな手がかりとなるのは、基本的な意識が受動性として発現、自覚されているからです。妄想が受け身であることは象徴的。それは常に被害者意識として自覚されますが、本質的にこれは逆で、受動性として発現するから被害者意識になるワケです。受身であることは同時に原点であることと同じだと考えられます。
たとえば、この原点の状態に戻って認識したときのイメージの代表的なものがデジャヴ。そこではすべてが懐かしく感じられます。音楽が郷愁である理由は、たぶんデジャヴと同じであるか共通点があるでしょう。人間の原点に戻っての認識だということです。無意識下に1/10000秒でレスポンスしてしまう音こそがその原点かもしれません。
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デジャブは個体が<そこに在ること>の
自己関係自体と自己了解自体の心的な表出である。
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<そこに在ること>という現存在認識からはじまる人間。
すべては....
<ココはドコ?>
<ワタシはダレ?>
....という原点からはじまり、原点へ戻っていくワケです。
(2003/3/15)
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