認識の時空間性
人間にも生物としての神経の反応時間があって、最低刺激量(クロナクシー)以上の刺激が加われば、神経はある時間をかけて反応します。
たぶん多くの場合は、この生物的な反応時間を超えて長い時間がかかります。
この超過した時間分が人間的なものだと考えることができます。つまり生物的な反応時間に比べて、ですね。余計にかかった時間が人間的な時間だということです。
それは生物的な反応ではなく観念性が高いということでもあるでしょう。
クロノス時間を超える時間量は心的現象としての時間であり、時間量が超過するほど認識の時間化度は高度だ、といえます。
そして、この高度さは観念の自由度を(も)示してます。
<文字を空間性>として<行を時間性>とする<1:1>のコードだと....
こーゆー普通の形態ですねえ。
時間性が高まってくると....(この場合は相対的に時間化度が高く(1行が消費される程度が高い)なってるので躁鬱病的。逆に空間化度の低下(1文字の冗長性が高い)により認識の進展がノロマで堂々巡り風。マテリアルにはセロトニン感受性の過多がベースに考えられます)
こ
ん
な
形
態
に
な
っ
た
り
し
ま
す
う
。
もっと正確には躁状態だと....
こんなんこんなんこんなんなったりなったりなったりするんよするんだわかったあなたあなたわかったこんなんなるの・・・
鬱状態だと....
こ
う
な
ん
で
え
え
す
う
。
さらに空間性が高度になってコードが歪んで分裂病的な状態だと....(時間化度と空間化度の対応のバランスが崩れてます。アスペクトの混乱です。そのうえ空間化度の高度化があって通常コード以上の意味が付与されます。マテリアルにはドーパミンやヒスタミン感受性の過剰がベースに考えられます)
こ
ん
な
ん
なったり
し
ま
す
う
。
ランボーみたいに象徴界レベルでの空間性が分裂病的になると....(オーディエンスの想像界的認識のキャパが受容可能性を保障してくれてます。ポストモダン~サブカルまで。たぶんこのキャパに反比例して象徴界への保障が弱体化してるという認識がありうるワケでしょう)
字
に
色
が
つ
い
た
り
し
ま
す
う
。
芸術は認識の時空間構造の錯合の仕方がパターン化し、理解(受容)される範囲内での、それもトーナリティを失ってない、という強度のない歪み(デザイン)だと考えられます。しかし認識の時空間構造の柔軟性は無いため、表出としての意味に限界があります。
いずれも指示決定と自己確定のバランスがポイント。
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本質的には不可分ですが....
指示決定(表出)が空間性に依拠する対象性 なら
自己確定(決定)は時間性に依拠する志向性 です。
存在論的には空間性は関係性で、時間性は了解性です。
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表現というものは、象徴界であっても鏡像界であっても、認識とメディアの関係の原理はこの範囲内です。
(2001/1/18)
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