動物とペットの違いは?
心の発生に関してはゾウリムシから人間までたぶん同じではないでしょうか。人間が他の生物と違うのは認識の仕方そのものとそこへ致る心の発展の仕方とその内容。現実に生活しているリアルな環境での空間認識と心理はアナロジカルにも人間と動物で共通するところは少なくはないかもしれません。そんなワケでアバウトですが、ペットの動物と野生の動物の違いが、ある面ではヒントになるかもしれないですね。
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ペットの動物と野生の動物の違いは空間(性)の認識の違い。
野生の動物の空間認識の基本は対象との距離(感)で、それは認識上の空間性と物理的な空間とが比例?するような空間認識です。
認識とマテリアルが一致しているワケです。簡単にいうと対象との距離が遠ざかれば認識上も遠ざかるようなものです。
便宜的に3段階の距離(感)が想定できます。
内(空間)・中(空間)・外(空間)の3段階です。
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・内空間は即自的空間。
自分の身体であり、いつも触れ合ってる子供やパートナーも含む空間。
・中空間はナワバリの空間。
自分たちの活動の範囲であり、いつも把握できている空間。
・外空間はナワバリの外の空間。
敵も獲物も存在する、アプローチするまで把握できていない空間。
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野生の動物はこの空間認識がほぼ物理的な空間性によって規定されるワケです。野生の場合、外空間に何かが現われれば情報としてキャッチし、それが中空間に侵入してくれば敵として闘争するでしょう。
ペットだと外空間がなく中空間と内空間の差もあるかないか程度で、認識は変容してます。ペットの変容した空間性(距離感)では物理的な空間性としての内・中・外の区別がありません。飼主は認識上は内空間の存在なのでペットを触ってもいいワケです。
また本来飼主以外の人間は外空間の存在ですが、ペットは飼主以外の人間に対しても闘争的ではないです。理想的なペットというのはすべてを内空間として捉えてるような状態の存在でしょう。
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ここで大切なのはペットがすべてを内空間としてしか捉えていないように見えても、実際には物理的な3段階の差異をすべて内化してしまっているだけで、認識上は3段階の差異があり、各段階に基づいた反応もあるということですね。
つまり物理的な3段階の差異をすべて内化して内空間性だけになっているように見えますが、現実には3段階のレスポンスを示すということです。
たとえばすべてが内空間性だけに見えるペットですが、近づいたり触れたりしたら突然鳴いたり、噛みついてきたりしたことがあるでしょう。この場合、通常ならば人間に対して内空間認識しかないハズのペットが外空間の対象として人間を認識し、近づいたり触ったりしたコトで警戒や闘争の反応を示したワケです。
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視覚的なニュアンスで近景・中景・遠景といった捉え方もできますが、その場合は視覚情報以外が捨象されてしまいます。感覚や認識においていちばん大切なのは対象との関係や対象(から)の享受におけるマテリアルな過程なので、視認情報だけで分析するのは一面的でしかありません。問題は認識とマテリアルの差異にあります。
斎藤環さんが「メディアと想像界の相互作用」(『戦闘美少女の精神分析』)などで提起している問題や社会システム論などの大きな問題がこれらに含まれるでしょう。
(2000/11/2,2003/3/10)
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» 十二縁起ー空と疎外−「悟り」へ [南華のブログ]
仏教の開祖、お釈迦様は「一切はみな苦である」と説き、その原因を「十二縁起」というコンテンツ(項目、目次)で示しました。
「縁起」とは「空」のことであり、「空」とは「関係」(の認識)ということですが、「同時的相互関係」と「前後的因果関係」のなかでは、主に「前後的因果関係」に属するもので、次の十二の段階に分けて表します。
無明→行→識→名色→六入→触→受→愛→取→有→生→老死
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猫は家に付くといわれますが、猫は家の中の風景が同じなら、飼い主が別人になっていてもあまり気にしないようです。
ところが、家を改装した時、よくなついていた猫が出て行ってしまったことがあります。
飼い主は猫の内空間にはならないようです。
投稿: 南華のブログ | 2007年2月28日 (水) 11時27分
南華(?)さん、こんにちは。
今日現在残念ながら「南華のブログ」が読めません。読みたいんですが。(以前読みましたけど)
確かに「飼い主は猫の内空間にはならない」ですね。w
原理的には人間にとって内空間のニュアンスの由来は実態として相互に内空間であった時期が10ヶ月も継続する胎内経験のある母子関係からですね。いわゆるプレエディパルな関係の初源。この対幻想の原点からエディプス△関係および他者との関係へ演繹していくというのが吉本理論のセントラルドグマだと思います。
投稿: sheep5 | 2008年12月31日 (水) 12時19分