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2007年2月 2日 (金)

主体を確立しようとするコト

 エスが主体を確立しようとする時に、必然的にある志向性をもちますが、これは「主体を確立しよう」とすることそのものであって、この志向性とエスとの異和はどこまでも自我(主体化したエス)に影響を与えるワケです。

 そのため、主体が対象を認識する時に、その認識の仕方を基本的に左右してるのは志向性のあり方だと考えられます。

 そこに宗教や哲学やさまざまな思想が問うてきた<罪>や<道徳>の初源(の根拠)が明らかにされています。

 

 <エス>の基本はあくまでも生命をつらぬこうとし、
 <エス>の核である<自我>はこれを個体の死をもって完結する表現に鋳型しようとする。
 この矛盾は、<自我>を主体にかんがえれば罪の意識をあらわし、類を主体とすれば道徳意識をあらわす。

                        (『心的現象論序説』P28)

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 基本的な志向性は2方向。
 それは「主体を確立しようとするコト」と「エスへ戻ろうとするコト」の2つ。
 つまり、主体化志向とそれへの抵抗ですね。

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 人間は個人として存在するけど、同時に人類です。
 この<個(人)>だけど<(人)類>という二重性がいろいろな問題の初源になります。
 マテリアルな存在としては<個>であり....個別的現存、個人、現存在、ビョーキ、アキラ、シンジ、アンタ、ワタシ、なんでもあるでしょう。アナタもワタシもボクもマテリアルな存在で、その限りでは分子レベルでの解析が進むといろいろなコトが解ってくるにすぎません。
 でも<個>に生じる<観念>の位相は分子で把握できるワケではなく、個別科学は部分認識だけにすぎず、<常に-既に>全体的存在である人間は....観念的です。
 そしてこの<観念>とそのリソースになる<情報>の結果として<類>が生成されるワケです。

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 ある意味<個>と<類>の二重性は、<商品>と<貨幣>の二重性みたいなもの。資本論第1版に記述されてた、柄谷行人さんの主張する「価値形態論」の、重要なポイントになった<ライオン>と<動物>の概念の差異のようなものが大きなヒントになるかもしれません。そういう発想は経済学をやり交換価値と使用価値で考えてたスタンスからは新鮮です。

(2001/1/5,2009/4/9)

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