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2007年1月15日 (月)

ケータイの幻想

●ケータイがあるので社会がわからない?

 ケータイがあって、いつでもどこでもコミュニケーションできるんで、社会がわかりませーん....とゆーコトで、よくある話し。
 ケータイは基本的に1対1のコミュニケーションのためのツール。対幻想のためのツールで、ケータイが使用可能な時空間は対幻想を現実化する時空間でもあるとゆーコト。
 ケータイそのものに関して2つポイントを取り上げると、手で使うというハンドリング、耳で聴くという聴覚....がキーかなと。

 カントだかなんだかの言葉どおり〝手は外部の脳〟であり、手でコントロールできるのは人間にとってケッコウ快感であり満足感にもなったりします。大脳皮質の理性によるハンドリングが視覚と聴覚を媒介としたレスポンスを生むというのは、観念と感覚のフィードバックで、聴覚を媒介としているのは個体=主体の原点へも遡行しうるラジカルな説得力を持つ運動でしょ。脳と身体のダイレクトなダイナミズムに脳も身体も充足感が得られるワケです。(手によるハンドリングの快感について、インターネットのスタート時に発行された『デジタル日本人』高城剛さんが指摘してたのは新鮮でした。原稿はその5年も前からコツコツと書かれていたようです)

       -       -

   ケータイがあって、
   いつでもどこでもコミュニケーションできるんで、
   社会がわかりませーん

       -       -

....というのは、文字どおり、「いつでもどこでも」「ケータイがあって」「コミュニケーションできる」から「社会がわかりませーん」とゆーことで、まあ、ダイレクトでありリアルな実感ですね!
 社会がワカラナイ理由がこんなにハッキリ、カンタンに表明されてるなんて、ワザワザ社会を分析するナントカ学者とか評論家とか、イラナイじゃないですかあ!
 ここでワカルコト、そして重要ポイントは「コミュニケーションできる」から「社会がわかりませーん」とゆーこと。逆に考えると〈コミュニケーションできない〉のなら〈社会がわかる〉とゆーこと。つまり、コミュニケーションへの抑圧が社会を意識させるとゆーことですね。しかもそれが自覚されてるという....ワケ?

 それは、ココの基本的な認識とタームから説明すれば以下のとおりです。

   対幻想への抑圧が社会を意識させる。

 あるいは、

   コミュニケーションへの抑圧が共同性を生成する。
   想像界への去勢こそが象徴界を生成せしめる。

....ということで、吉本理論とラカン理論がほとんど同じ認識をもっているということでもあります。

 では、どうしてケータイでコミュニケーションするだけで社会への非知や否認が説得力をもってしまうのか? それもカンタン。

 前後しちゃいますが、ケータイについてのポイントは上記のとおり。<ハンドリング>と<聴覚>です。この2つの運動性と体性感覚が<ケータイ>を特別なものにしてます。個別にいえば<聴覚>については音楽と同じ訴求力や受容性を持っているということであり、<ハンドリング>は自発的な運動性のクイックなレスポンスが自発性そのものを媒介とする自己言及性によって、あるいは自発性への再帰的フィードバックによって担保されるから....という理由によって、いわゆる人間にとっての魅力や価値となっているコトでしす。いわゆるアディクテッドでもあり、対幻想を体現するときの自己萌えでもあります。

 このアディクテッドというか自発性による身体性の魅力や価値が、観念に依拠する社会性や共同性を超えるのは当然です。
 これは<動物化>のある側面でもあり、その阻止のため社会や共同体への帰属を不可避に刻印するという社会的儀礼や通過儀礼が用意されます。象徴界的な刻印をその身体にするワケで、共同体の成員化は<動物化>の阻止や防止でもあるんですね。もちろんそれは別の動物化です。

 ここにポストモダン保守が勃興する?理由なんかもあります。

 でも、マルクス『資本論』で指摘した「動物化」やそれを理論的な突破口にしようとした吉本さんの『ハイ・イメージ論』における「動物」概念はもっとラジカルな問題提起....消費(者)という受動性に社会の決定権を見出す試みです。

       -       -       -

池田blog「社会をつくる自由―反コミュニティのデモクラシー」にラジカルでリアルな指摘があります。

集合住宅のまわりに高いフェンスを張りめぐらしてセキュリティを守る「ゲーテッド・コミュニティ」が増え、日本でも都市のマンションの住人は隣の世帯と会話もしない。世界的に、社会がモナド化する傾向が強まっているのだ。

こういう問題の一番最初の解としてオタキング『ぼくたちの洗脳社会』(オタクをテーマにした初の社会学の本)があったと思います。人々は楽しいことを結節点とした複数の共同体(性)に所属するようになって家族でさえ日常的に会っているわけではなくなる…というものでしたが…。

           
ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)

著:岡田 斗司夫
参考価格:¥ 588
価格:¥ 588

   

(2004/12/28,2009/5/2)

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