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2007年1月16日 (火)

共同幻想≦ブラックホール?

すべては<代入される空間性>

 共同幻想(≧国家・宗教などほか)や共同性(市場など)が個人の観念の中の、どこで、どーやって、ナゼ生成するのか..とか感覚受容認識情報の心的な処理や観念化..ということへの一応の理解をつけてみました。

 今までモノゴトを考えるのに共同幻想や共同性を「100人の社会・世界から100名分の人生を捨象しても残るもの。」....

  歴史-人生=共同性

  共同性≧システム

....などと考えていました。このソリッドな認識はヒジョーにCommunism的だしDG的で、いわゆる社会科学ではOKでしょー。

 ただ、自分が興味を持っている、もーひとつの面は、共同幻想や共同性という認識が個人の内面において、どー生成するのか?ということです。共同幻想が社会的ジャッジとなる契機は宮台真司さんの『権力の予期理論―了解を媒介にした作動形式』などで鮮やかにあっけなく分析されていますが。もともと受胎してから系統発生をフォローしつつ発達していくなかで神経的≦心的システムはどーゆー風に生成するのか、そもそもどーゆーものなのかとゆーことです。どのよーにどーして共同性や共同幻想は生成するんでしょーか?
 

▲自己幻想の中にある共同幻想

 共同性だろーが個人的妄想だろーが、それを認識してるのは個人(幻想=自己幻想≧妄想)です。
 そーすると、個人の認識の中に共同性の根拠もあるワケですね。個人幻想の中に共同幻想の場があるとゆーコト。あたりまえのコトですが。

 マテリアルとしては、個人の幻想の中のどこかに共同幻想のエリアがあるワケで、まずそのエリアを見つければいいということになります。
 ちなみに、このエリアを見た?人の話しが吉本隆明さんの『心的現象論序説』に引用されてて、それへの吉本さんの解説がサイコーでした。もちろん患者さんです。それは、白くて丸~いオバケを思わせるよーな「空白」だそうです。どこでもいつでもついてくるという....。コワイけど、カワイかったりするかもしれません、ね。
 

▲共同性とゆーのは恣意性じゃないとゆーこと

 共同幻想への理解のポイントで重要なのは、共同幻想は個人の恣意性で介入できないものだよ、とゆーことです。
 逆にいえば個人的なジャッジで左右できないからこそ、それが共同性を表わしてる(代理してる?)ワケです。

 人間はナニゴトも個人的にしか認識できません。つまり、主観だけ。だのに共同(幻想)性とは個人的な認識では左右できないものです。
 個人の認識の中にしか存在しないけど個人の認識ではどーしよーもないものが共同幻想、とゆーことですね。
 

▲自己言及&コントロールできないところ

 共同幻想とは個人幻想の中にありながら個人の恣意ではアンタッチャブルな領域。つまり、個人幻想の中にある非個人幻想なエリアなワケです。
 個人の観念の中にありながら個人の観念がおよばないあるいは個人の観念で左右できない部分で、自己言及&自己コントロールできない部分。それはゲーデル的決定不能性そのものである世界ですね。
 すなわち論理ではない世界。リアル、とか、現実。力の場。ロゴスじゃなくパロールの世界です。
 実をゆーとリアルとゆーものが外部(性≧他者性≧共同性)からやってくるとゆーコトとも大きく関係しています。
 

▲指示決定を生成するところ

 カンタンに、もーちょっとクワシクいえば、個人の思念で左右できない概念構築のエリアです。

 このエリアで生成する概念で言語として表出したものの代表が名詞。名詞の認識の前提となるのはその表象の承認だけであり、個人的な思考や観念が必要とされるワケではありません。名詞がコンスタティブに流通する理由がそこにあります。そしてそれは同時に指示表出の特徴でもあるんですね。
 

▲ブンレツの可能性としての指示空間

 人間が対象を認識する時に、意識が対象へ向かいます。志向性ですね。
 対象へ向かった志向性のうち、自分自身ではどーにもできないものが共同性として認識されます。

 この志向性は対象へ投射された自己(関係)意識として、対他関係(意識)の要素やトリガーになり、概念構築の前提になる指示空間や均質空間を形成します。
 この点で対象との関係性が均質空間化されている視覚や聴覚との照応性や親和性が高く、これが分裂症において幻覚や幻聴が多いこととも関係してるワケですね。
 また、純粋な思念によるイメージと感覚の運動性による主観的視覚的直観象との類似性も同じ理由でしょー。

 問題は概念と視聴覚、イメージと直観象それぞれの親和性や類似性にかかわらず各々はまったく別物だとゆーこと。
 観念と感性は違うし、想像力と視覚の運動性も全然違います。

(2001/7/26,2009/03/30)

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共同体についての簡明な解説が404 Blog Not Found「縁と円」にあります。池田信夫 blog「部族社会と大きな社会」を受けたもので、小飼さんの方は共同体に所属するコストと動機を池田さんはハイエク(&マルクス)の問題提起について、とてもわかりやすく説明されています。

(2009/2/3)

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