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2007年1月31日 (水)

「二人称」と「三人称」

 『心的現象論序説』で吉本隆明さんが参考資料として精緻に読み込んでいるのが、少女ルネの分裂病の発病から治療までの記録『分裂病の少女の手記』ですね。
 斎藤環さんがよく参考にしてるのが自閉症だった女性ドナの『自閉症だったわたしへ』という本人の手記です。

 吉本さんがルネの記録から考察したのは分裂病の基本的な特徴としての「三人称」「他人称」によるコミュニケーション。
 斎藤さんがドナや臨床の現場から見い出しているのが自閉症の多くに見られる「二人称」による自己表出やコミニュケーション。

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 斎藤さんはそこで....
 「二人称」による自己表出という「一人称の不在」の理由は「主体化への恐れ」だと主張しています。これについては「その「恐れ」ている主体は何なのか?」という疑問や「主体に先立つもの」についての孝察があるでしょう。

 吉本さんの主張はちょっと複雑になります。
 それは、そこにはそこから共同幻想(論)へと遠隔対称化(転回・展開)されていく理由そのものが含まれているからです。

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 独解してみると....
 「三人称」でのコミュニケーションが成立するのは、任意の「三人称」である指示決定は自己確定の可能性が高いからです。これは自己確定可能な指示表出を任意に設定できる場合はコミュニケーションが成立する、ともいえます。
 逆にいえば「一人称」や「二人称」での自己確定の失敗や不可能性がコミュニケーション不全=分裂病(のトリガー)であり、また「一人称」「二人称」でのコミュニケーションが可能ならば「三人称」でのコミュニケーションがいくら多様化しても、それは正常であり、観念の自由度の高さを示していることになります。

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 そして....
 「三人称」や「他人称」にさまざまなものを代入していく過程そのものが共同幻想化、観念の遠隔対称化ですね。この「三(他)人称」に代入できるアイテムを増加させ生産していくのが資本主義です。
 サブカルとはこの代入できるモノゴトについてのカルチャーそのもののことです。

 それはPOPであってもマスとは限らず、流行であっても必然とは限らない、大衆ベースのしかも大衆意識の異和そのものであるようなモノゴトでしょう。たとえば東京とか<アキバ>はそうしたものが具現化された街だと考えられます。

(2001/1/3,2010/6/22)

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