対幻想のホットとクール(!)
マルクスが27歳のときの切実なテーマが<個人と人類の関係>です。
人間は具体的には<個別的現存>にすぎないのに、なぜ<人類>が成り立つのか?という問題ですね。それは商品は具体的(使用価値)なのに、貨幣は抽象的(交換価値)なのはなぜか?というような問題とパラレルでもあるでしょう。
人類が成り立っている直接の契機は<性関係>であり男女の関係によります。
生物学的には生殖なのですが、それが恋愛であり、愛や憎しみという感情をとおして社会全域にわたって人間を人間たらしめている根本的な動因でもあり、文化から戦争、政治から宗教まで、あらゆる人間活動の源泉であり目的そのものでしょう。
それを吉本理論では<対幻想>と呼称し最重要概念として定義しました。愛が憎に憎が愛に、個人が共同性にそしてその逆に、意識の志向性が容易に転化し拡大(あるいは縮小)することの論理的な説明が<遠隔対称性>です。
個体は環界の中で遠隔対称性を行使しシーソーのようにバランスしながらアイデンティティを維持しています。
・ ・ ・
遠隔対称性は対幻想という多義的なタームを構成しその中心となる概念であり、より抽象化されたもの。原生的疎外や純粋疎外についての正当な解釈がすくないように、この遠隔対称性についての理解もほぼ見当たりません。しかも、このタームは吉本理論解読の最重要ポイントでもあるハズです。
マルクスはヘーゲルの観念論を逆立させた....という認識はかつて常識だったかもしれません。そのような状況のなかで書かれた吉本理論は、そのような常識を前提にしていて、あえて〝共同幻想が対幻想と逆立する〟ことや〝自意識が遠隔対称化されて共同幻想を生成していく〟ことなどの説明において、「逆立」や「遠隔対称性」についての仔細な説明、注釈の類は少なく読者の理解力が試されています。
・ ・ ・
....ということで、実にクールな論でもある、と思っちゃうこともあるワケです。
(2003/9/23)
« 対幻想は時点ゼロ(脱力風) | トップページ | 三界論と<力>と »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント